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聖堂は旧聖堂の敷地に隣接する形で建てられている

今日の聖堂は旧聖堂の敷地に隣接する形で建てられている。旧聖堂の礎は1739年に発掘されたものである。この木造聖堂は1935年にKrivonysに移された。1930年にヴィタウタスの没後500周年を記念して建てられたコンクリートの記念碑は、1420年に建てられたヴィタウタスの聖堂を記憶にとどめるためのものである。15世紀から19世紀までの古い聖堂群の地下に、ケルナヴェの人々が埋葬されている。

二つの礼拝堂が近隣に建っている。木造の方の礼拝堂は、地元の建築様式の例証であり、13世紀末にKernavelė estateに建てられたものが、ケルナヴェの教会に移されたと考えられている。19世紀末には、聖堂は倉庫に使われていた。1920年に新しい聖堂が建てられた。その際に、聖堂の一部でなくなった礼拝堂は廃れてしまったが、1959年に修繕され、1993年から1994年にかけて元通りになった。現在、その礼拝堂はケルナヴェの教区に属しており、木造聖堂の彫刻の展示に使われている。
19世紀に遡るレンガ造りの礼拝堂には、ロメル家の霊廟がある。この礼拝堂が、1851年から1856年にかけて地主のスタニスラウ・ロメル(Stanisław Romer)によって建てられたためである。この小さな礼拝堂はレンガと漆喰で建てられており、後期古典主義様式の建物だが、古典主義には珍しく平面図は八角形である。内部では床に穴があいており、クリプト(地下室)に繋がっている。柩がその中に埋められ、レンガで囲まれていた。礼拝堂の内部には、聖餐台の石造りのテーブルが現存しており、側壁伝いには黒い長椅子がある。壁にはロメル家代々の名前と家紋の入った記念の飾りがある。第一次世界大戦後に一度廃れたが、1959年と1987年に修繕された。現在、礼拝堂はケルナヴェ教区に帰属している。どちらの礼拝堂もケルナヴェの考古・歴史保護区内にある。

現在の新しい聖堂は1910年から1920年にかけて建てられたもので、ネオゴシック的な要素が主である。
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1980年代にクリヴァイティス貎下(Monsignor Česlovas Krivaitis)主導のもと、教会墓地の手直し、新たな門の建造、聖餐台や内部の修復等が行われた。教会墓地は芸術家のJadvyga Grisiūtėによってアレンジされた「十字架の道行き」(Stations of the Cross)で飾られている。墓地にはキリスト教化600周年とケルナヴェの名が文献で言及されるようになってから700周年になることをそれぞれ祝う2つの記念碑が建てられている。最初の記念碑は炉と剣を描き、異教からキリスト教への改宗を表している。二つ目は、市門の間に立って剣を携えた騎士で、町の紋章の主要部分から採られている。どちらの記念碑にも石臼が組み込まれている。司祭、作家にしてケルナヴェ史研究の推進役であったNikodemas Švogžlys-Milžinasは、700周年記念碑のそばに墓がある。

聖堂には、聖餐台それ自体、2枚の絵画、2つの彫刻、3つのステンドグラス、鐘など、素晴らしい美術品が残されている。ネオバロック様式の聖餐台は側面の身廊にある。その中央にはマリアの絵があり、両脇には円柱と聖ペテロ・聖パウロの彫刻がある。他にも小さな彫刻があり、マリア、2人の天使、2人の聖人を象っているが、すべての彫刻はバロック様式に属している。

中央の身廊の聖餐台にはMarija Škaplierinė (canvas, oil, metal, 220x120 cm)という絵画がある。これは1816年に、聖母子、父なる神、1羽のハト(聖霊)を描いたものである。これとは別に油彩画(143x104 cm)の聖母子像もある。そこに描かれているのは、マリア、イエス、子羊で、背景にはヨセフ、上空には天使たちが見られる。

他の美術作品には19世紀初頭に遡る小さな聖餐台や2枚のステンドグラス、18世紀に遡る1枚のステンドグラス、17世紀の鐘などがある。鐘は真鍮製で直径45 cm、鋳造はヴィリニュスで行われたものである。

1980年代にクリヴァイティスの尽力で、伝統的でない様式の司教館が建設され、周辺が整理された。司教館の中では、教区民の生活の様子が展示され、歴史的な遺品や聖遺物なども展示されている。

旧司教館でも、1987年に秘蹟に関する遺物(sacramental relics)に関する展示室が開設された。教区会館では世界大戦前の「鉄の狼」(Iron Wolf)の彫刻が再建された。

教会の文化活動はケルナヴェにおける文化的・歴史的な生活に多大な貢献をしており、町の中心部から教会には幅の広い舗装道路が敷かれている。

ケルナヴェ小学校(The Kernavė Primary School)は1929年に建てられた2階建ての校舎である。ここでは1930年12月28日に、教師J. Šiaučiūnasが最初の博物館的な展示を行った。彼は1941年6月14日にソビエト連邦政府によって追放されるまで、この学校での教育・文化活動に人生を捧げていたが、1943年10月17日にシベリアで亡くなった。

1998年に学校は元通りに修復され、地元の議会はその名前を彼にちなんでJuozas Šiaučiūnas小学校と改称することに決めた。1999年には小学校が、2000年にはケルナヴェ博物館が、それぞれ創立70周年を祝った。

その他 [編集]
ケルナヴェの古い建造物群は、ヴィリニュス通りとKriveikiškio通りで特によく保存されている。逆に、町の中心部では第二次世界大戦後の建築物が主である。集落は周辺環境の自然美ともよく調和している。町の南には考古・歴史保護区や、ネリス川両岸の素晴らしい景観が広がっている。

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2009年03月14日 17:51に投稿されたエントリーのページです。

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