17世紀後半から18世紀後半にかけて、アメリカ独立戦争以前のイギリス本国、北米大陸の英領13植民地と、英領西インド諸島((en)における貿易も三角貿易の一類型である。 これは、カリブ海沿岸地域の農場主・奴隷のための食糧として北米植民地から農産物や魚(特に塩たら)を西インド諸島へ、西インドからの砂糖や糖蜜はイギリス本国・北米へ、そして、イギリスからは工業製品が北米や西インドへという貿易パターンである。また、イギリス船に南ヨーロッパ向けのニューファンドランド沖産の塩たら、ボストン港からのとうもろこしを積み込むケースもあった。
三角形の頂点にあたる地域は、イギリス・インド・清の3つの国。辺にあたる貿易ルートは実際には両方向通行であり、またインドの中継貿易の形をしているため、三角形の形になっていないが、手形の流通によって三角形となっている。主要な取引品目の流れについて記載。
清 → 茶 → イギリス
イギリス → 綿織物 → インド
インド → 銀、のちにアヘン → 清
19世紀始め頃、イギリスとインドの2国間貿易ではイギリスの貿易黒字、イギリスと清の2国間貿易ではイギリスの貿易赤字が続いていたが、対インド黒字で対清赤字を穴埋め出来ず、国際通貨の地位にあった銀が対価としてイギリスから清に流出していた。ただし、この時期、既に為替手形による国際貿易が成立していたため、手形交換所があるロンドンから直接清に銀が流出していたのではなく、中継貿易地となっていたインドから清へ銀が流出していた(インドの対清赤字)。
事態打開を図るため、インドでアヘンを製造し、清へ密輸する活動が活性化した。こうした政策が推進されたのは、「外国にお金が出て行くと損だ」という重商主義的な見方にイギリスが囚われていたためである。清ではアヘン消費が拡大し、銀はインドの綿製品輸入を経由してイギリスへ渡った。
清はこの取引において大量の銀流出に見舞われ、密輸の取締り強化を図ったが、それがアヘン戦争へとつながることになる。
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インド洋三角貿易(二重三角貿易)はダウ船によるもので、アラビア人あるいはソマリアの人びとが結んだものである。
ダルエスサラーム(タンザニア)、カラチ(パキスタン)およびアデン(イエメン)に向けて出航し、バスラ(イラク)、ムンバイ(インド)およびモンバサ(ケニア)に帰航する形態の交易であり、中世にまでさかのぼる。これら6港は交易関係者のなかでは有名であり、1960年代まではこの貿易が繁栄していた。
インド洋北西部は、季節風およびモンスーン海流(季節風海流)と呼ばれる季節によって向きが替わる海流があり、これらにのることで容易に船舶が往復することが出来るという特徴的な海域である。そのため、これら季節風および海流の影響が及ぶインド亜大陸北西岸~アラビア半島南東岸~東アフリカを繋ぐ大きな往復航路に、様々な小さな航路が接続される形で交易路が成立した。なお、これより南の海域では、北赤道海流や赤道反流などによる東西に循環する海流があり、これらに乗って東南アジア島嶼部のモンゴロイド(マレー系)がマダガスカルに定住した(→マダガスカルの歴史)と言われるものの、交易路としては成立しなかった。